自分以外は別もの

こんにちは、RISAです。

このタイトルは私が人間関係で悩む時に忘れないようにしている言葉です。

心理学を学ぶ中で、あ~これ私上手くできてなかったなと思ったのが「バウンダリー(境界線)」でした。

このバウンダリーを日常の中で思い出すようにすることで、少しずつ自分を確立できるようになりました。

バウンダリー(境界線)、今日はこちらについてお話ししたいと思います。

バウンダリー(境界線)

英語表記ではboundary

自分と他者との間に適切な境界線を引き、自分の責任の所在と他者の責任の所在を明らかにしていくもの。

私はこれは自分だけでなく、他者に対しても守るべきものを尊重し大切にすることだと思っています。

以前、私はドラマやTVのニュースを見ては自分の現実で起きているものと錯覚を起こしてしまうことも、多々ありました。

感動的な内容ならともかく、ママ友同士のマウント争い、子どもの誘拐事件、嫁姑問題などのドラマを見ては自分の現実で起きていると錯覚してしまい、取り戻すのに少し時間が要することもありました。

ドラマを見ないようにしてからも、バウンダリーが緩いことは日常のシーンでも引き起こされていて。

【仕事】

・後輩が出来ない仕事をつい、自分でやってしまう

・関係のない部署の業務まで引き受ける

・頼まれた仕事は全て行う

【家庭】

・子どもの学校での問題に過剰に反応してしまう

・夫の意見に従うのみ

・やりたくないことを伝えられずに、全て自分で行う

・親の価値観や言ったことは絶対

・子どもに対してついうるさく言ってしまう

・相手の望む通りで無いといけないと思ってしまい、相手に合わせてしまう

これ以外にもありますが、自分という自分がそこに存在せず、相手ありきの自分になってしまうことがよくありました。

本来の自分、ブレブレです(^^;)

自分と相手の間に

親子や夫婦、友人や職場などの人間関係。

人生の悩み第一位にもなるこの人間関係に、バウンダリー(境界線)は本当に大事だと今も思っています。

親子で血が繋がっていても、一人ひとり違う人間。

我が子なら尚更のことで、子どもが傷つかないように、困らないように、失敗しないようにとアレコレつい口を出してしまうのも、逆に言えば、その子が体験して成長する機会を自分で奪ってしまっているようなもの。

夫に関しても、職場や友人、両親に関しては特に育ってきた環境の中にいた人だからこそ、その人たちの想いを汲み取りすぎて自分事と一緒くたにしてしまい、頭の中がいっぱいになってしまいました。

そうやって、自分と他者との間に境界線を張らないと、常に頭の中もいっぱいだし、気持ちもどんどん複雑な感情ばかりが積み重なって、それが身体的にも疲労として溜まっていくのを何年も経験してきました。

ストレスであごに吹き出物がたくさんできたことまで…

自分の中を整理する

今でこそ、たまにでもいいようになっては来ましたが、バウンダリーを知ってからは先述したようなブレインダンプで、頭の中を整理することを心掛けました。

今思っている事、悩んでいる事、感じている事、すべてを紙の上に吐き出し

「これは誰の問題か?」

「どうしてそう思うのか?」

「本当にそれは自分で思っている事なのか?(社会的なルール、思い込み、刷り込みがないか?」

自問自答しながら境界線を引いて、一度整理してみます。

すると、案外自分の問題にしなくてもいいことの方が、割合的に多いことも。

今では、ふと「それ、自分のこと?相手の領域に踏み込んでしまってないか?」と頭の中で自問自答し、相手の領域であれば、それ以上踏み込まないように、一旦そこでフェードアウトをしています。

これが案外、自分には合っていて。

先日、夫と痴話喧嘩をした時も、なかなか機嫌が直らない夫に対して以前までは

「いつまでそんなに機嫌悪いの!」

「さっさと謝りなさいよ!」

な~んて思っては、冷戦状態だった喧嘩が再戦してさらに険悪状態になったりもしていましたが。

今では、

「私は機嫌取りが上手でも、夫は違うんだな。そっとしておこう」

「謝りたくないほどまだ気持ちが落ち着かないのか。彼のペースに任せよう」

と思えるようになり、冷戦状態は長くなったとしても再戦することまでは無くなりました。

(正直、はよ機嫌直せ、とは常に思いますが…)

境界線を引くことで得るもの

境界線を引くようにして、夫との喧嘩でもそうですが、いちいち人の機嫌を取るようなことは無くなりました。

自分と相手と一線を引くことで、まず自分を大事にできる・守ることができるということ。

子どもがすぐに宿題をしなかったり、片付けが出来なかったり、忘れ物が多かったとして。

境界線を引かなかったら、いろいろ言いたくなってしまったり、それがきっかけで子どもに逆らわれたり、子どもも経験を通して自分で考え行動に移すということの成長の妨げにもなってしまうもの。

境界線を引くことで、まず子どものことで自分の感情が左右されない、不要な感情で頭をいっぱいにしなくてもいい、子どもの気持ちを尊重できる親になれる、そんな自分を褒められるようになる。

そして、境界線に自分が踏み込まないことで、相手も自分の問題を他責思考にしなくなる。

「お母さんがそう言ったから…」ではなく、「自分がこう思っているから…」と自分事としてしっかり学んでもらうきっかけを奪わなくて済む。

いくら我が子とは言え、自分が両親と全く違う人間なのと一緒で、我が子も別の人間で所有物でもない。

当たり前だけど分かっていてもなかなかできないものってあるし、冷たく感じてしまうものもやっぱり無くはないけど、それでも境界線を引くことはことわざにもある「かわいい子には旅をさせよ」と同じ感覚だと私は思っています。

ちなみに、なんとなくですが境界線を引くようになってから、逆パターンの自分のテリトリーに入ってくる人が少なくなったようにも思います。

「私はワタシ、あなたは貴方」

自分の中で整理し、自分が変わることで周りも変わってくるというのはこういうことなのだと今では体感すらしています。

国境があるからこそ、その国の文化や情勢が守られるのと同じように、私たちも境界線を持つことでの自分を守ること、そして相手も守ることは大切にしたいひとつです。

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