こんにちは、RISAです。
「自分らしく」や「ありのままの自分」
一時期、大ヒット映画の主題歌でも歌われるようになり、
誰もが一度は考えたことがあると思います。
偉人も本来の自分であることがいかに重要かを名言で残してくれています。
では本来の自分に出逢う方法とは?
そもそも本来の自分に出逢う必要がなぜあるのか?
まずはココを私の経験談も含めて、お伝えします。
本来の自分に出逢う必要性
私は元々、人の目を気にしてばかりの人間でした。
娘として、姉として、孫として、近所の住民、同級生の中、部活の後輩・先輩、友達、彼女、職場の同期・後輩・先輩・部下、結婚前提の婚約者、妻、義理の娘、母親、保護者、お客さん、スタッフ、日本人…
あらゆるライフステージを経る中で、そのカテゴリー一つ一つで演じている自分が身についてしまっていました。

きっかけは小さい頃から言われ続けた「世間体」。
世間に出て恥じぬよう、親からの愛ある教育と言えば聞こえがいいですが、当の本人(私)からしたら苦痛でもあり、それはいつの間にか当たり前になっていました。
だから、周りから世間から恥じぬよう、認められるよう、ハブかれることのないよう常に気を張っていたり、本意とは逆の行動や言葉を使うこと20年。
本意に蓋をすることで生きやすくしていたと思っていたのですが、実は真逆でだいぶ心には負担がかかっていました。

正社員になることとか、フリルのついた服を着たりとか、本当はそうしたいわけじゃなかったのにね。つい、周りの目を気にしちゃうんだよね。
こういった今の自分の考え方や思考、何に不安を思い、どんなことが好きで何が苦手か、仕事をすることでの優先したいこと、人付き合いなど自分の表面に出てくる部分は、すべて内側にある本来の自分、自己理解が重要。
その自己理解が先決で、仮面を被ってしまっていたとか本当は苦痛だった、といった心の声をしっかり受け入れてあげること。
20年近くもの間、本来の自分を見て見ぬふりしてきた私は、友人との会話や少しずつ日常生活の中で心の声を拾い集めたり感じたり、内省を行うこと数年かけてやっと本来の自分を見つけ出せました。
それぐらい自分の中には「こうでありたい」「こうしていきたい」「何か違和感を感じる」「本当はこんな結果を求めていなかった」「こう思われたくないからしょうがなく」「その場しのぎでどうしようもなかったけど、本当は…」といった不安・怒り・淋しさ・悲しみ・痛みという心の声は、世間体、社会的ルール、情勢、時代、外因的な影響により自分の中に深く、凝り固まって閉ざされてしまっていたようです。
なので、すぐに確立された本来の自分が見つからなくても、大丈夫。
時間はかかってでもゆっくり少しずつほどけていくように、本来の自分を見つけ出すことが出来るから。
それもふとした瞬間から、急に出てくることもある。
焦らずに。昔の小さい頃のアルバムを開くように。
