役者ではない、本来の自分に気付く

こんにちは、RISAです。

よく、ありのままの自分だとか、自分らしさなんて言葉が溢れているけれど、本来の自分ってなんなのでしょうか?

人は一日24時間の中で、誰かと過ごしていたり、何か作業していることが多いです。

仕事している時、育児している時、友達と会っている時、職場の人との会話の時、家事をしている時、買い物している時、SNSを見ている時、部下に指示をしている時・・・

その中で本来の自分を過ごしている割合って、一日の中でそんなに多くはないものです。

演じているって言ったらちょっとオーバーだけど、でもそんな自分も全否定はできないよね。

誰かといる時や何かをしている時って、本来の自分とちょっと離れていることも。

職場内での肩書きだったり、先輩後輩だったり、親として、パートナーとして、お客さんとして、誰かにとっての○○としての役者状態になっていることの方が24時間の中で占めていると言っても過言ではないのです。

役者になっている自分

「こういう人であれば嫌われない」とか「こんな人と思われていれば、できる人・特別な人と思われる」とか。

過去に体験した失敗から、成功を得るための役者になることの選択。

過去に周りの意見と違うことを話したとき、周りから変な人扱いされた。

小学生の時に容姿のことでからかわれて、周りと同じようにしていればからかわれることが無くなった。

お揃いのものを持っていれば、友達の輪に入れた。

過去の自分の思い出から失敗とタグ付けされた思い出。

自分がみじめな思いをしてしまったとか、辛い経験としてトラウマになってしまっていたりとか。

そういう自分でいないといけないと言った、「当たり前」や「普通」や「みんなやってるから」という社会的ルールみたいな暗黙のものたち。

そういった弱い状態を回避するための「役者」。

そんな失敗というタグを瞬時に引っ張り出して、成功を得るために、そして自分を守るために、良き選択肢を選ぼうとさせているのが脳の仕組みなんだとか。

いわば自動操縦。

もちろん、その成功を得るための役者を演じることは悪いことではないのです。

それで周りとうまくいったり、同じ失敗を繰り返さないために敢えて役者になった自分をOKにしてもいい。

けれども、そればかりに囚われてしまうと本来の自分が分からなってしまい、本来の自分を取り戻すのにとてつもなく時間がかかってしまったり、役者の自分が本来の自分だと錯覚を起こしてしまったり。

彼に嫌われたくなくて、綺麗好きアピールをしているけど本当は毎日綺麗にしているのって結構ストレス。

みんなに合わせた会話してるけど、実は私、そんなにその話、興味ないんだよね。

こういったふと出てくる、内側から出てくる本来の自分の気持ちに蓋をしてしまわず、少しずつ解放する許可を自分に与えていく

本当の気持ちがあること、そこに気づく。

「それって本音?」と自問自答していく。

急に本来の自分をさらけ出すのはとても勇気がいるから、まずは気づくだけでいいのです。

そして、成功するための役者になることだけが、真の成功ではないことも。

「実は私、こういうものの方が好きなんだよね。」

そう言われて新たな一面が見えて、共感が生まれ、新しい関係が始まることもある。

自分でも思いがけない本来の自分が思っていることは、周りにいる人にとってはNOでも別の場所ではOKなこともある。

役者になっていてもなっていなくても、自分には変わらない。

役者な自分も、役者になりすぎている自分も、全部自分。

それでいい。

でも何か違うと思ったり、違和感を感じたらそこに気付いてあげて欲しい。

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